フィギュアスケートのペアと言えば、最近は「りくりゅう」ペアが大人気ですが、その木原龍一選手の“原点”となったのが、高橋成美さんとのペアです。
ソチオリンピックにも一緒に出場した2人ですが、わずか約2年ほどで解散してしまい、「どうして?」と気になっている人も多いのではないでしょうか。
この記事では、ペア名や結成のきっかけ、主な成績、ソチでの結果、そして気になる解散理由について、当時の情報やその後のインタビュー内容をもとに整理してみました。
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ソチに出た名コンビが、なぜ2年で解散してしまったのか…気になるところをまとめてみました!
高橋成美と木原龍一のペア名は?結成のきっかけも紹介
高橋成美さんと木原龍一選手は、特別な愛称のペア名(「りくりゅう」のような略称)は公式には定着しておらず、基本的には「高橋/木原組」「高橋成美・木原龍一ペア」と表記されていました。
当時はペア自体の歴史が浅く、ペア専用のニックネーム文化も今ほど浸透していなかったこともあり、ファンの間でもフルネームで呼ばれることが多かった印象です。
ペア結成は2013年ごろで、それまで男子シングルだった木原選手が、ソチ五輪団体戦に向けてペアへ転向するタイミングで、高橋さんと組むことになりました。
高橋さんはすでにマーヴィン・トラン選手とのペアで世界選手権銅メダルなどを獲得していた実力者だったため、「経験豊富な先輩」と「ペア初挑戦の木原選手」という組み合わせで、“世界に出るための土台作り”を任されたペアだったと言われています。
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愛称はつかなかったけれど、日本ペアの“土台”を作ったコンビだったんですね
高橋成美と木原龍一の主な成績まとめ
高橋/木原ペアは、結成期間こそ短いものの、日本のペアとしては重要な結果をいくつも残しています。
特に、ソチオリンピック出場と世界選手権出場は、日本のペアが国際舞台で継続して戦ううえで大きな一歩になりました。
主な成績は、公開されているデータをもとにまとめると、次のようになります。
- 2014年ソチオリンピック・団体戦:総合5位(ペアSP8位・FS5位)
- 2014年ソチオリンピック・ペア個人戦:SP18位(フリー進出ならず)
- 2015年世界選手権:SP17位(総合順位は伸び悩み)
それ以前に高橋さんがマーヴィン・トラン選手と組んでいた時期は、ジュニアグランプリファイナル優勝や世界選手権銅メダルなど、表彰台常連だったため、新ペアになってからの成績と比較すると「世界との差」や「難しさ」がかなりはっきりしてしまったとも言われています。
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結果だけ見ると“苦戦続き”でしたが、日本ペアの経験値を一気に上げた時期でもあったようです
ソチオリンピックでの結果はどうだった?
ソチオリンピックでは、団体戦とペア個人戦の両方に出場しています。
団体戦ペアショートでは46.56点を記録し、種目別では8位という結果でしたが、日本チームとしては貴重なポイント獲得となり、団体総合5位に貢献しました。
ペア個人戦では、ショートプログラム18位となり、フリー進出はなりませんでした。
ミスもあり、得点的には悔しい結果でしたが、木原選手にとってはペア転向後わずか1年ほどでオリンピックのリンクに立った経験であり、ここで味わった世界のレベルの高さが、その後の飛躍につながったと分析する声も多いです。
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ソチでは結果以上に、“世界の壁を体感した大会”だったという印象です
解散までの流れと時系列をおさらい
2人のペアとしての活動期間は、ざっくり言うと2013年結成〜2015年春ごろまでの約2年ほどです。
2014年シーズンはソチ五輪と世界選手権に出場、翌2015年の世界選手権後にペア解消が発表され、ファンの間では「突然の解散」と受け止められました。
- 2013年:ペア結成。
- 2014年2月:ソチ五輪 団体戦・ペア個人戦に出場。
- 2014〜2015年:国際大会・世界選手権に出場するも成績は伸び悩み。
- 2015年3月:世界選手権後にペア解消が報じられる。
当時は詳しい理由が公表されなかったこともあり、「なんで?」「不仲だったの?」といった憶測が一気に広がりました。
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結成から解散までが早かったぶん、理由が気になってしまう流れですよね
高橋成美と木原龍一が解散した理由とは?
公式には、はっきりとした解散理由は細かく説明されておらず、「世界選手権を終えたタイミングでペア解消」という事実だけが伝えられました。
そのため、一時期は「不仲説」や「雰囲気がよそよそしかった」など、かなり辛口な憶測もネット上で語られていました。
最近まとめられている情報や関係者のコメントをもとに整理すると、主な理由として挙げられているのは次のようなポイントです。
- 成績の伸び悩みと、世界との差がなかなか埋まらなかったこと。
- 世界選手権SP17位など、大舞台で結果が出なかったこと。
- 木原選手側から「解散したい」と申し出たとされる報道。
また、高橋さんは後年「成績に追われる生活に疲れてしまった」と語っていると紹介する記事もあり、結果を求められるプレッシャーが相当重かったことがうかがえます。
総合的に見ると、「不仲でケンカ別れ」ではなく、成績面・将来性・メンタル面など、いくつかの要素が重なって“現実的な判断としての解散”に至った可能性が高いと考えられます。
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ケンカ別れというより、“これ以上は厳しい”という現実を見ての決断に近そうです
体格差や技術面の課題もあった?
一部の解説では、体格差や技術面の相性も、解散理由の一つとして挙げられています。
ペア競技では、男性が女性を大きくリフトしたり回転させたりするため、身長差・筋力・タイミングなど、かなりシビアなバランスが求められます。
木原選手はペア転向後にどんどん体が大きくなり、力はあるものの、その分リフトやスロージャンプのタイミングを合わせるのが難しくなったとも言われています。
世界トップと戦うには、少しのズレもミスにつながるため、「今の組み合わせではこれ以上難しい技術構成に挑戦するのは厳しい」と判断された可能性も考えられます。
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技術や体格の“相性問題”も、見えないところでじわじわ効いていたのかもしれません
性格・価値観の違いはあった?
海外生活が長くフラットな感覚を持つ高橋さんと、日本で育ち真面目で寡黙な印象の木原選手という組み合わせは、良くも悪くも性格や価値観に違いがあったと推測されています。
ある記事では、「海外生活が長い高橋さんと、日本で過ごした木原さんとの価値観のギャップ」も解散要因の一つとして挙げられていました。
とはいえ、2人はジュニア時代から同じ代表チームで戦ってきた“戦友”でもあり、解散後もお互いの活躍を喜び合っている様子が伝えられています。
そのため、性格の違いが「合わなかった」というより、トップレベルのプレッシャーの中で、考え方やペースの違いが少しずつ負担になっていった可能性の方が近いのかな、という印象です。
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値観の違いはあっても、“戦友”としての信頼関係は続いている感じがします
解散後の2人の関係と、りくりゅうへのつながり
解散発表当時は、不仲説なども噂されましたが、その後の2人の様子を見ると、関係が悪化したままという印象はほとんどありません。
むしろ、りくりゅうペアが世界のトップに躍り出たとき、高橋さんは解説席から号泣しながら木原選手を讃え、その姿が大きな話題になりました。
解散から約10年以上たって、かつてのパートナーが五輪金メダルを獲る瞬間に立ち会い、「世界一」「本当にありがとう」と言葉を贈る姿は、単なるビジネス上の関係では築けない絆があると感じさせます。
木原選手にとっても、高橋さんとのペア時代で味わった“世界の厳しさ”が、その後の成長の土台になっていると分析されていて、解散はネガティブな終わりというより、次のステップへの通過点だったようにも見えます。
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別々の道を選んだからこそ、今の“りくりゅう金メダル”につながったとも言えそうです
まとめ|解散は前向きな決断?それぞれの現在にも注目
高橋成美さんと木原龍一選手のペアは、活動期間こそ短かったものの、ソチオリンピック出場や世界選手権への挑戦など、日本ペアの歴史の中で大きな役割を果たしたコンビでした。
解散理由は公式に細かく語られていませんが、成績の伸び悩み、技術面や体格差の課題、プレッシャーによるメンタル的な負担など、いくつかの要因が重なった“前向きな区切り”だったと考えられます。
その後、木原選手はりくりゅうペアとして世界の頂点に立ち、高橋さんは解説者・タレントとして新しい道を歩みながら、元パートナーを全力で応援する立場になっています。
2人の歩みを知ってから改めて当時の映像や現在の試合を見ると、結果の裏側にあるストーリーまで感じられて、フィギュア観戦がさらに楽しくなると感じました。
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解散は残念なだけじゃなくて、今につながる“大きな分かれ道”だったのかもしれませんね

